バタイユとAV

【第1回】禁止と侵犯と、オイニーんぷんぷ

  • サクライ
  • あめのもりたけし

バタイユって意外に最近の人なんやね。ものすごい昔の人やと思ってたわ。

1897年生まれで、1962年に65歳で死んでいます。

62年ってことは戦後20年弱。例えば美空ひばりとか、全然かぶってるやん。

そうなんです。だってヌーヴェルヴァーグが狭義には終わるのが67年のカンヌと言われてるんで、その終焉を見ずに亡くなってる。ヌーヴェルヴァーグなんて、イメージとしても思いっきり最近ですもんね。で、誤解を恐れず言うと、基本的にこの人は「エロ」文脈で語られる思想家というか、つまりはド変態。

駅でいうなら「御成門(おなりもん)」やな。東京タワーのお膝元!

ジョルジュ・オナリモン・バタイユ!(笑)。さらに、この人は図書館の司書みたいなことをやっていたんですね。

うん。俺もwikiで見たよ。

名門と言われるグランゼコールを出て、国立図書館で司書をしながら研究生活を送ります。そしてバタイユにとってすごく大事なのが、ニーチェとの出会い。それまでは敬虔なクリスチャンだったのが、ニーチェと出会うことで無神論者に変わります。もちろんその時期に他の人の著書を読んだりしたっていうのもあるんでしょうけど、一番はニーチェですね。敬虔なクリスチャンが無神論者になると、すごく過激になることが往々にして見られます。やはり反動というか、熱烈に何かを信じていたという力が爆発する。

うん。『眼球譚』にしても、最後の方は宗教観、道徳観の話に置き換えられる。

そうですね。だから今から喋っていく「エロ」や「エロティシズム」という概念がどういったものなのかを考える上で、バタイユが言葉にした“禁止と侵犯”という考え方は重要です。道徳というのもそこに組み込まれますね。

「禁止と侵犯」っていうのが重要なキーワードなわけやな。

そうですね。それをもとに読んでくと、特にエロティシズム関連のバタイユは、圧倒的に読みやすくなります。禁止されているモノを犯す力というのは、そのままフロイトのリビドー関連の図式にも読み替えられるほど簡素で、それでいて強い言葉ですよね。

なるほど。そうやね。

その最たるものが最初に出てくる「宗教」や「神」っていう、ある種の「戒律」という部分です。それはバタイユの思考においては象徴的といっていいかもしれません。

「禁止」の象徴、もしくは代表として、「宗教」と「エロス」っていうのを持ってきている。

そうです。「禁止」というのは、自らの行動を規範したり、無意識のうちに制限をかける存在ですよね。他で言うと「罪悪感」だったり。それをどうやって犯し、穢していくのかが、彼にとって大きな「侵犯」だったわけです。その禁止事項として、特に厳しく定められるのが「死」と「生」、そして「性」に携わる部分です。禁止のレベルが高い。

無意識レベルの禁止、そして侵犯ね。

熱く語るド変態1(長野出身。年下の方)

もう一つ重量なのは、バタイユと会った人は、決まってその後に大きな転機を迎えるほどのカリスマ性みたいなのも持ち合わせているということです。バタイユに会った後、もしくはバタイユの著作に触れた後、転機を迎える人が多い。例えばフーコーとかもそうですね。

「フランスにこんなにド変態がいたとは!」みたいな感慨があるんやろな。

アセファルという秘密結社でもそうです。そこにいたのはアンドレ・マッソンやクロソウスキーという人たちなんですが、アセファルはこの人たちに興味深い影響を与えます。ま、その辺はそれぞれ調べていただくとして。他にもドキュマンという雑誌や、ブランショなども面白い存在ですよね。

バタイユと会うことで、何が変わるんやろ。“エロス”をどう捉えるかっていう部分?

バタイユにおいては、当然エロスもあるんですけど、それとは関係ない他の諸概念も大事ですね。また、「禁止と侵犯」という考え方は、実はエロ以外にも影響を与えています。

んー、なるほど。アウトプットがエロスになるか、もしくは思想になるのか、はたまた経済になるのかは別として、とにかくバタイユフレーバーはフランス中で、もうンプンプと。

そうです。バタイユのオイニーはもう、「お前汗くらいぬぐえよ!」的な。

脇の下からのンプンプっぷりがハンパないわけね。あと日本で言うと、三島由紀夫がバタイユに傾倒していた。

そうですね、澁澤龍彦なんかを通してオイニーはがんがん海を越えるぞっていう。三島の小説でいうと例えば『憂国』ですね。

そうやね。

バタイユの『マダムエドワルダ』なんかは比較するとなかなか面白い。死に際のセックスというか。死に際して、死を意識しながらのセックスみたいな。

ほう。「死」を「禁止」と設定して、それを侵犯していく構図か。

はい。サンドニ門っていうパリにある門を記号論的に死の門と読み替えたり、エドワルダを神やエロスに読み替えたりして読んだ『マダムエドワルダ』。これはなかなか面白いです。やっぱりどの小説を見てみても、「禁止と侵犯」っていう構図が当てはまるし、考え方も近いような気がします。解放する力みたいな。

解放か。「イクイクイーー!」 やな。

そうです。「あきません、あきません」からの……。

イクイクイーー!(笑)

(笑)ただ、三島においては、「禁止と侵犯」という概念を説明する『エロティシズム』という本が日本語に訳されたのが彼の死後ということもあって、しっかり読んでないみたいなんですね。三島がほとんどフランス語が読めないとすると、その概念を説明されたことはないということになります。

へ〜、そうなんや。じゃあ言葉にされる以前に、ある程度感覚として共通のものを持ってたんやろな。

なので「三島由紀夫『エロティシズム』読んでないんじゃないか説」をここで打ち出したい!

それが都市伝説的に流布してる、と。「スティーヴィー・ワンダー目見えてる説」ばりに。

ホテトルの顔見て「チェンジ」って言った伝説ですね(笑)

ライブの本番に間に合いそうになくて、武道館の階段を思いっきり走ってたっていう。何やったら1段飛ばしで(笑)

ヤバいです、それ(笑) 

えっと、簡単にまとめると、エロに関して、バタイユの一番の功績は「禁止と侵犯」という概念を言語化したってことになるんかな? 海を越えて、無意識レベルで誰もが分かっていたことを体系化したっていうことか。

そうですね。かつ、その出力の仕方もよかった。今回は言及しませんが、サドとの関連でもすごく語られたりもします。

熱く語るド変態2(大阪出身。年上の方)

ん〜、やっぱり背徳感ってエロと通ずるモノあるもんね。AVを観てても、例えば“世田谷の人妻系”とかって、やっぱりそうでしょ?

そうですね。あとは近親相姦とか。観ていい気分はしないことのが多いけど。

めっちゃあるよね。お姉ちゃんが弟のオナニーを見ちゃった、とかさ。

兄弟ものだけじゃなく、熟女モノだと、どうしても親子が絡むんですよね。そしてそこにお父さんとおじいちゃん混ざったりして、さらに嵩が増すみたいな。

それで言うと、ちょっと話ずれるかも知らんけど、倖田來未のことを一時期“エロかっこいい”って呼んでた。その「エロさ」って、つまりは露出の激しい格好であったり、おっぱいの大きさだったりの部分でしょ? でも俺はそういうところにエロさを感じない。例えばイスラムの女性が顔を隠して目しか出さないとか、そういう方がエロいよね。その辺はフーコーらと同じく、俺がバタイユと出会って大きく変わった点(笑)

そうですね。喪服のエロさや、さっきのイスラムの人のエロさ、あと黒尽くめのエロさみたいなのは歴然とあります。そういうのは倖田來未とは一線を画すというか、全然違いますよね。

つい最近も吉沢明歩のサンプルであったなー。未亡人もの。松嶋かえでのも観た!タイトルも「あなた、ごめんなさい」的な(笑)

本当に多いですよね。


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